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こぐま
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簿記はなぜ生まれた?複式簿記(ふくしきぼき)の歴史と日本への伝来

会計史:複式簿記

2026年4月26日 に公開

江戸の商家で帳簿を囲みながら商売の記録を確かめる浮世絵風の場面
江戸の商家で帳簿を囲みながら商売の記録を確かめる浮世絵風の場面

簿記はなぜ生まれた?

簿記は、商売の結果を「記憶」ではなく「記録」で残すために発達しました。複式簿記(ふくしきぼき)は中世(ちゅうせい)イタリアの商人社会で使われ、1494年にルカ・パチョーリが『スンマ』の中で印刷物として紹介したことで広く知られるようになります。日本では江戸(えど)時代の和式帳合(わしきちょうあい)が先にあり、明治(めいじ)初期にシャンドの『銀行簿記精法(ぎんこうぼきせいほう)』や福沢諭吉(ふくざわゆきち)の『帳合之法(ちょうあいのほう)』を通じて西洋式の簿記が入ってきました。

こぐま商会の経理日誌


森の小さなパン屋「こぐま商会」。帳簿(ちょうぼ)をつけるのが得意なこぐまさんは、ある日、仕込み部屋の奥で古びた帳面を見つけます。

ミーヤ:なになに?古い本?
こぐまさん:表紙に「算用帳」って書いてある。昔の帳簿かな。
ペンリー:江戸時代の商人が使っていた帳簿かもしれません。日本には、西洋簿記が入る前から「帳合」と呼ばれる独自の記帳実務がありました。1

三人は帳面をめくりながら、「簿記っていつからあるの?」「日本にはどうやって伝わったの?」と次々に疑問を浮かべます。

古い帳簿は、ただの数字の集まりではありません。そこには「誰に売ったか」「いつ受け取るはずか」「いま店にどれだけ財産があるか」を忘れないための工夫が詰まっています。

ミーヤ:昔の人も、売った相手とか、あとで払ってもらう約束とか、ちゃんと覚えておきたかったんだね。
こぐまさん:記憶だけだと、忙しい日が続いたら間違えそうだもんね。
ペンリー:だから帳簿は、商売の記憶を店のみんなで共有する道具でもあった。

複式簿記は商人の信用を守るために育った


複式簿記は、ひとつの取引を「原因」と「結果」の両面から記録する仕組みです。たとえば商品を現金で売れば、現金が増える一方で、売上も発生します。片方だけを書くのではなく、借方と貸方に同額で記録するから、帳簿全体のつじつまを確認できます。

複式簿記は原因と結果を同時に記録する図

ミーヤ:つまり、ひとつの出来事を左右から見るってこと?
こぐまさん:お金が動いた理由まで残せるから、あとで商売を説明しやすいんだね。
ペンリー:その通りです。遠くの相手と取引する商人ほど、正確な帳簿が信用の土台になります。

複式簿記の起源を「誰か一人の発明」と言い切るのは正確ではありません。パチョーリ自身も複式簿記を発明したとは主張せず、当時のヴェネツィアで行われていた実務を記録したと説明されています。2

たとえば、ヴェネツィアの商人が遠くの町へ布を送った場面を想像してみます。商品は船で出ていき、代金はすぐには戻ってきません。途中で運賃を払い、仲介人(ちゅうかいにん)に手数料を払い、あとから売上代金が届きます。

このとき「布を送った」とだけ書いても、商売の全体像は見えません。商品が減ったのか、売上が立ったのか、現金はまだ入っていないのか、誰から回収するのかを分けて残す必要があります。

商売の場面帳簿で残したいこと
商品を船に積んで送る商品が減った、または売るために動いた
運賃を払う現金が減り、費用が発生した
代金を後日受け取る約束をする売上が立ち、回収すべき相手が残った
代金が入金される現金が増え、未回収の残りが減った
ミーヤ:あ、遠くと取引すると「今どこに何があるの?」が見えなくなるんだ。
こぐまさん:だから、物の動きとお金の動きを別々に追う必要があったんだね。
ペンリー:複式簿記は、その見えにくさを数字でつなぎ直すために育ったと考えるとわかりやすい。

パチョーリは「発明者」より「広めた人」


1494年、イタリアの数学者ルカ・パチョーリは『Summa de arithmetica, geometria, proportioni et proportionalita』を出版しました。その中の「計算と記録」に関する章に、複式簿記の説明が含まれていました。国立スコットランド図書館は、この1494年版を「複式簿記についての最初の印刷された解説」と説明しています。2

こぐまさん:数学の本の中に、帳簿の話が入っていたんだ。
ペンリー:商人にとって計算は実務そのものでした。パチョーリの本は、商売の現場で使われていた方法を学べる形にした点が重要です。

パチョーリの役割は「複式簿記をゼロから作った人」ではなく、「ヴェネツィア式の実務を体系的に書き残し、広く学べるようにした人」と見るのが安全です。だから簿記史では、彼を「近代会計の父」と呼ぶことはあっても、複式簿記の単独の発明者として扱うのは避けます。

今でいえば、現場でベテランだけが知っていた経理のやり方を、誰でも学べる手順書にしたようなものです。店主が新しく帳簿係を育てるときも、商人どうしで記録の形をそろえるときも、「どう書けばよいか」が文章になっていることには大きな意味がありました。

こぐまさん:発明というより、職人技を教科書にした感じかな。
ペンリー:近いです。広まるには、実務を説明できる言葉が必要だった。

日本には江戸の帳合と明治の西洋簿記があった


日本にも、西洋簿記が入る前から商家の帳簿文化がありました。江戸時代以前の和式帳合についての研究では、財産計算・損益計算・多帳簿制・大福帳などが論点として整理されています。1

ミーヤ:じゃあ、日本には簿記がなかったわけじゃないんだね。
ペンリー:ありませんでした、ではなく、違う形で発達していました。明治になって西洋式の複式簿記が入ってきた、と考える方が自然です。

江戸の商家を想像すると、帳簿の役割が見えやすくなります。たとえば、こぐま商会が町の常連さんにパンを掛けで売ったとします。その場では現金を受け取らず、「月末にまとめて払ってもらう」約束にする取引です。

このとき必要なのは、「今日は売れた」だけではありません。誰にいくら売ったのか、まだ受け取っていない金額はいくらか、月末に集金したらどの約束が消えるのかを追う必要があります。大福帳(だいふくちょう)のような帳簿は、こうした相手別の貸し借りを忘れないための台帳として使われていたと考えると、現代の売掛金管理にも近く感じられます。

こぐま商会で想像する場面帳簿で残したいこと
常連さんにパンを掛けで売る誰に、いくら、まだ受け取っていないか
月末に代金を集金する未回収だった金額が減ったこと
仕入先から小麦粉を掛けで買う誰に、いくら、まだ払っていないか
店の財産を数える現金・商品・貸し借りの残り
ミーヤ:大福帳って、昔の売掛金リストみたいにも見えるね。
こぐまさん:相手ごとに残しておけば、「あれ、誰からまだ受け取ってないんだっけ?」を防げるね。
ペンリー:形は違っても、目的は近い。商売を続けるために、約束を記録しておく。

江戸の帳簿で商売できたのに、なぜ西洋式に変わったのか


江戸の帳簿でも、商売は十分に成り立っていました。得意先ごとの貸し借りを管理し、仕入や売上を記録し、店の財産を確かめることはできていたからです。だから「江戸の帳簿が未熟だったから西洋式に置き換わった」と考えると、少し雑になります。

変化の理由は、商売そのものの大きさと説明相手が変わったことにあります。江戸の商家では、店主や番頭が帳簿の読み方を共有していれば、店の中では十分に機能しました。ところが明治になると、銀行、会社、政府の会計のように、店の外の人にも数字を説明する場面が増えていきます。

ミーヤ:つまり、江戸の帳簿がダメだったんじゃなくて、商売の相手や規模が変わったんだ。
こぐまさん:家族や店の中でわかる帳簿から、外の人にも伝わる帳簿が必要になったんだね。
ペンリー:そう。必要になったのは、共通の形式で説明できる記録だった。

たとえば、こぐま商会が町の常連さんだけにパンを売っているなら、相手別の帳簿で十分かもしれません。でも、銀行からお金を借りる、遠くの町に支店を出す、複数の出資者に利益を報告するとなると、「この店はもうかっているのか」「財産と借金はいくらあるのか」を、誰が見ても同じように読める形で示す必要があります。

江戸の商家で大事だったこと明治以降に強く求められたこと
店の中で貸し借りを間違えない店の外の人にも数字を説明できる
相手別に回収や支払いを管理する会社全体の財産・負債・利益を示す
番頭や店主が帳簿の意味を理解する銀行・株主・政府などが共通形式で読める
商売を続けるための記録を残す信用を広げるための報告書を作る

西洋式の複式簿記は、取引を借方(かりかた)・貸方(かしかた)で二面から記録し、最後に損益計算書(そんえきけいさんしょ)や貸借対照表(たいしゃくたいしょうひょう)へつなげる考え方を持っています。この形は、商売の結果を外部に説明するうえで便利でした。明治の日本で西洋式簿記が学ばれた背景には、近代的な銀行や会社、政府会計を整える必要があったと考えると理解しやすくなります。

明治6年(1873年)12月、大蔵省からアレキサンダー・アラン・シャンドの『銀行簿記精法』が刊行されました。国立国会図書館の書誌では、著者標目に Alexander Allan Shand、出版者に大蔵省、出版年に1873年が確認できます。3

同じ明治6年、福沢諭吉の『帳合之法』も成立しました。慶應義塾大学メディアセンターの福澤諭吉著作典拠データでは、『帳合之法』は H.B. Bryant、H.D. Stratton、S.S. Packard による『Bryant and Stratton's common school book-keeping』を原書とし、簿記用語の訳語や縦書き帳簿を工夫して翻訳した著作と説明されています。4

明治に西洋式の簿記が入ってきたとき、人々が学んだのは「新しい表の形」だけではありません。銀行や会社のように、多くの人からお金を預かったり、多くの取引先と継続的に取引したりする場では、記録の形をそろえることが重要になります。

こぐまさん:店の中だけでわかればいい帳簿から、外の人にも説明できる帳簿に変わっていったんだね。
ペンリー:そうです。近代の簿記は、店主の記憶ではなく、関係者に説明できる記録を求めた。

明治政府の官庁簿記(かんちょうぼき)は短い実験でも大きな意味があった


明治政府は、国家の財政(ざいせい)を近代的に管理するため、西洋式の簿記を取り入れようとしました。明治22年(1889年)には会計法が公布(こうふ)され、会計年度を4月1日から翌年3月31日までとする規定などが置かれます。56

こぐまさん:でも、官庁の複式簿記は長く続かなかったんだよね。
ペンリー:はい。ただし「1889年に完全に一言で廃止」と単純化しすぎると危険です。法制度や日本銀行による国庫金管理の整備によって、官庁側で複式簿記を使う必要性が薄れた、という見方があります。

官庁簿記の試みは短期間でも、民間の商業教育や銀行実務に西洋簿記を広げる入口になりました。今の簿記で学ぶ仕訳・試算表・損益計算書・貸借対照表も、この「取引を二面から記録し、決算で報告する」流れの上にあります。

国のお金を扱う場面を想像すると、帳簿の重みはさらに大きくなります。税金が入り、道路や学校や役所の費用が出ていく。どこから入って、何に使い、どれだけ残ったのかを説明できなければ、国の財政は信頼されません。

ミーヤ:お店の帳簿より、もっとたくさんの人に説明する必要があるんだね。
こぐまさん:だから「数字が合っている」だけじゃなくて、「説明できる形」も大事なんだ。
ペンリー:簿記は、数字を合わせる技術であると同時に、責任を説明する技術でもある。

今の簿記学習にも残っている考え方


簿記の歴史を見ると、複式簿記はただの試験テクニックではありません。

歴史上の必要簿記の仕組み今の学習で出てくる形
商人が取引を説明する借方・貸方で二面記録する仕訳
計算が合っているか確かめる合計や残高を突き合わせる試算表
商売の結果を報告する利益と財産を整理するPL・BS
期末の現実に合わせる期間配分や評価を直す決算整理(けっさんせいり)
ミーヤ:仕訳も試算表も、昔の商人の工夫とつながってるんだね。
こぐまさん:数字を残すだけじゃなくて、あとで説明できる形に整えるところまでが簿記なんだね。

仕訳クイズ


昔の商人と今のこぐま商会、両方の世界を旅した記念に仕訳クイズです。

Q. こぐま商会がパンを10,000円で販売し、代金を現金で受け取りました。この取引を複式簿記で記録すると?

答え

借方金額貸方金額
現金10,000円売上10,000円

現金が増えた結果を借方に、売上が発生した原因を貸方に記録します。借方と貸方が同額になることで、帳簿の整合性を確認できます。

【エピローグ】


夜も更け、こぐま商会に暖かな灯がともる中で、三人は一日の学びを振り返ります。

こぐまさん:昔の帳面を読むだけで、いろんな人たちの工夫が伝わってくるね。簿記って歴史そのものだ。
ミーヤ:イタリアの商人と福沢諭吉が、同じ帳簿の話でつながってるなんて面白い!
ペンリー:複式簿記は「現実を数字で正しく写す鏡」です。その鏡が生まれた理由を知ると、仕訳や試算表もただの表ではなくなります。

まとめ


  • 複式簿記は中世イタリアの商人実務の中で発達し、取引を原因と結果の両面から記録する仕組みとして広がった。
  • ルカ・パチョーリは1494年の『スンマ』で複式簿記を印刷物として体系的に紹介したが、本人が発明したわけではない。
  • 日本には江戸時代以前から和式帳合があり、明治初期に『銀行簿記精法』や『帳合之法』を通じて西洋簿記が入った。
  • 明治政府の官庁簿記は長くは続かなかったが、近代的な会計管理を模索した重要な時期だった。
  • 今の仕訳・試算表・PL・BS・決算整理は、商売の信用と報告を支えるために発達した簿記の延長線上にある。

参考文献


  1. 友岡賛「江戸時代以前の和式帳合 : 日本会計通史・序説(1)」CiNii Research, 2018. 2

  2. National Library of Scotland, Pacioli. 1494年版『スンマ』が複式簿記についての最初の印刷された解説を含み、パチョーリが「ヴェネツィアの方法」を記録したと説明している。 2

  3. 国立国会図書館サーチ「銀行簿記精法」。著者標目に Alexander Allan Shand、出版者に大蔵省、出版年月日に明6.12、出版年に1873年が示されている。

  4. 慶應義塾大学メディアセンター「福澤諭吉著作典拠データ:帳合之法」。成立年1873年、原書と翻訳上の工夫が説明されている。

  5. 日本法令索引「会計法 明治22年2月11日法律第4号」。

  6. 国立公文書館デジタルアーカイブ「会計法・御署名原本・明治二十二年・法律第四号」。

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簿記の森でお店を営むやさしいくまさん。数字の意味を大切にしています。

本記事の内容は独自に調査した情報に基づいて作成していますが、情報が古い場合や誤りがある場合もあります。最新情報は各公式サイトをご確認ください。